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歌舞伎座の思い出 [観 劇-歌舞伎]

この4月をもって、歌舞伎座はその歴史に幕を閉じた。
昭和26年に建てられた現在の歌舞伎座の建物の話である。

私自身の記録を紐解いて見ると、2002年に初めてその内部へと足を踏み入れたことになっている。
入り口へ続く数段の階段を上り、開け放たれた扉を入ると、赤い空間が広がっている。
絨毯、劇場とロビーを仕切る厚く重いカーテンと、とびら。それらが濃い赤に沈んでいた。
長い年月を経た独特の香りがほのかに漂っている。
重厚な空間だった。
当時、職にも就かず、のんべんだらりと生活していた私にはお金がなく、最初は3階席のチケットを取った。
4000円ほどで歌舞伎が見られた。
舞台からはるか遠く、くぐもった声の役者の台詞は聞き取りづらかった。
安い席だとそれだけ、自分の占められる空間というものは狭いらしく、窮屈な座席を何時間も我慢して芝居を見ることになった。足を直角に曲げ、右も左もないほどに体の自由はきかなかった。
1日芝居を見ていると、体がガチガチに硬くなった。
それでも、面白かった。
8年も前のことである。私も若かったのだ。
食い入るように、芝居を見た。
はじめは分からないことだらけで、なけなしのお金をはたいて筋書きを買って読んだ。
古い劇場が面白くて、やたらと階段を上り下りし、喫煙場所からの煙にまかれながら、その赤い絨毯の上を歩き回った。
確か、3階には何枚も写真がかかっていたように思う。
カレー屋さんがあって、いつもおいしい香りを漂わせていたのではなかったか。

平日のチケットはその気になって探すと、株主優待券をネットオークションで安く買えた。
2階最前列の席が、好きだった。
舞台全体が見渡せて、前に人がおらず、芝居の世界にひたることができた。
いわゆる「とちり」席(7、8、9列目)も、やはりよく全体を見ることができて、好きな席だった。
そしてもちろん、かぶりつきも。
劇場の後方から、舞台へ向かってゆるい傾斜になっているスロープを、高いヒールの靴でゆったりと下ってゆく。
最前列に陣取る贅沢な気持ちというのは、3階で一心不乱に芝居を見ていたときとは、また違う楽しさであった。
建物の1階下手側には、月替わりでさまざまな店が出店するスペースがあった。
新しい年には、紅白の白玉が入ったたい焼きが売られた。
普段はあまりお目にかかれない「下駄屋」さんや「かんざし屋」さん、浴衣地なんかを売るお店も、入った。
人形焼のように恒常的に売られるものもたくさんあったが、季節によって、少しずつラインナップを変えられる品もたくさんあるはずだった。上手側にも佃煮屋さんなど、何件かお店があった。
幕間の休憩時間には、こうしたお店を冷やかして歩く。
おやつを買って食べたことも一度や二度ではない。
最中のアイスは格別においしかった。
友人が予約してくれて吉兆でご飯を食べたこともあった。
そのころにはもう、私も働き始めていたかもしれない。
正月には木遣り初めがあった。
ロビーが人であふれ、2階から見下ろすお客さんが、吹き抜けの手すりにびっしり並んだ。

新橋演舞場や浅草公会堂なども歌舞伎を上演するし、そこへも何度も行ったけれど、やはり歌舞伎座の建物は別格だった。
思い入れが、ひときわ深い。
あの、ふかく吸い込まれてゆくような、やわらかな感触の絨毯が、すべてを物語っている。
私もまた、深く深吸い込まれ、歴史の中の一点となってゆく、その瞬間をあの建物で体感していたのだったろう。

新しいものは、確かに気持ちがよくて快適だ。
歌舞伎座もさっぱりと高い高層ビルとなって3年後に生まれ変わるのであろう。
座席の幅も広くなるだろうし、バリアフリーにもなるのだろう。
けれども。
あの、深甚とした趣を湛えた建物が、私たち観客と役者とをやわらかく包み込むうつわが、なくなってしまうことは本当にさみしい。

たった8年しか付き合うことのできなかった建物に、しかし私は、汲めども尽きない感慨をそこはかとなく感じるのである。
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