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図書館戦争 [本]


図書館戦争  図書館戦争シリーズ(1) (角川文庫)

図書館戦争 図書館戦争シリーズ(1) (角川文庫)

  • 作者: 有川 浩
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2011/04/23
  • メディア: 文庫


今さらで申し訳ないのですが『図書館戦争』を読んでみた。
周りの人々が「おもしろいよ」とお薦めしてくれてからすでに何年か経っているのですが・・・。
すみません。

そしてちょっと思い出したのでこちらをご紹介しておきます。

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ (光文社新書)

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ (光文社新書)

  • 作者: 太田 直子
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2007/02/16
  • メディア: 新書



不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)

  • 作者: 米原 万里
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1997/12
  • メディア: 文庫



どちらも充分古い本なのですが、『図書館戦争』ととても近いところにあるような。
『図書館戦争』は法務省主導の言語狩りに対して図書館が表現の自由を守るために戦う、というフィクションの構図を取っているのですが、『字幕屋~』や『不実な~』の著者である翻訳家たちは、現実に起こるさまざまな言語をめぐる局面において、すでに「くさいものには蓋」式対処が行われるていること、そしてそんなことをしても差別などの本質的な問題は解決しないことを、(偶然にも?)揃って指摘しています。

小説家が現実をすくい取って、その歪んだ部分や真実を提示してくれるものならば、有川浩さんはとっても上手にそれをしてくれたんじゃないかなと思いました。
また、あとの2冊も軽妙でとても読みやすくて楽しくて、しかもわかりやすい良書。

ちなみに『図書館戦争』のシリーズは、とにかく出ているものをすべて読んでみたのですが、シリーズ3冊目の『図書館危機』に出てくるエピソードで、放送コードに引っかからない言葉をつかって、しかし徹底的にひとを差別し蔑む言葉に挑戦する作家がでてくるのですが、その人の語りにはずいぶん説得力がありました。
おもしろかったです。

あとは・・・登場人物たちの恋愛模様が、物語りをわくわくさせてくれて、こちらはこちらでおもしろいかな。
真っ直ぐな青春小説。



真保裕一 3冊ほど [本]

天使の報酬


天使の報酬

  • 作者: 真保 裕一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/12/21
  • メディア: 単行本
アンダルシア

アンダルシア

  • 作者: 真保 裕一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/06/10
  • メディア: 単行本


原作本を読んでみました。
原作と映画・ドラマの内容はかなり違うので、それぞれに楽しめてお得な感じです。
この国がどんなふうに動いているのか、どこに、誰の、どういう思惑があるか、といったことに思いをめぐらせながら、楽しく一気に読める。
構成が骨太で読み応えがあります。
たくさん調査をして書かれているんだろうなあ。
黒田がさまざまな問題について、ひとつひとつ地道に踏査していくさまにも興奮する。

ただ、いろいろな問題を詰め込んだ、かなり重量感のある小説で、私はこの2冊を一気に読んで、あまりの濃さに頭がくらくらしました。
映画のほうが気軽に見られるかもしれません。

いずれにせよこのシリーズは、映像でも、小説でも、また続編を作って欲しいです。
ぜひに。

で、黒田ばかり読んでいるのも偏ってしまうと思って代表作の一つらしい『ホワイトアウト』。

ホワイトアウト (新潮文庫)

ホワイトアウト (新潮文庫)

  • 作者: 真保 裕一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1998/08
  • メディア: 文庫


やはりおもしろかったです。
登場する男たちがみなオトコくさいというか、それぞれに信念があるのがいい。

石川啄木 その2 [本]


一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)

  • 作者: 石川 啄木
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1952/05
  • メディア: 文庫


いよいよ歌集であります。
あんまり歌は読まないよ、よくわからないよ、っていう人でも、啄木の歌は分かるし、共感ができるし、詩的で、時に(というかかなりの割合で)おかしい。
天賦の才なんだと思うけれど、平易でくすりと笑える歌の数々なのに、強烈なアイロニーが効いていたりもする。そういう部分に凄みを感じます。

でも、やっぱり啄木のやんちゃっぷりはおもしろいのです。

知らぬ家たたき起して遁(に)げ来るがおもしろかりし昔の恋しさ

・・・ピンポンダッシュして遊んだんですね。
いたずらっ子ですね。

をさなき時橋の欄干に糞塗りし話も友はかなしみてしき

なんでこんなことしたんでしょうか。

人がみな同じ方向に向いて行く。それを横より見てゐる心。

佐々木幸綱さんは啄木の歌は卑近な物事を歌っているようでいて、その実抽象性が高いと指摘しています。
だから、誰が読んでも自身の経験に当てはめて考え、共感することができる、と。
人がみな・・・の歌など、今の世相に当てはめても、新しい。



啄木・ローマ字日記 (岩波文庫 緑 54-4)

啄木・ローマ字日記 (岩波文庫 緑 54-4)

  • 作者: 石川 啄木
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1977/09/16
  • メディア: 文庫


読みやすいし、「日記」と言うよりは文芸作品と言ってもいいくらいの日本語のなめらかさ。描写の確かさ。
ローマ字日記ではあるけれど、私は仮名に起してある文章を読みました。
周知のことではあるけれど、キンダイチ(金田一京助氏・言語学者)くんとはほんとうに仲がよくて、キンダイチくんの部屋で桜の花を散らかして遊び、彼をふとんに押し込めて啄木がそれを上からバタバタ叩いて自分の部屋に逃げ帰ってきたとか、なんだかやたらとキラキラしい時間があるかと思えば、「今日も××という女とねた。・・・・それから歩いて××へ行って、またハナなんとかとねた。」と、仕事を何日も何日も休んで鬱々と過ごす日々が綴られていたりする。
ともすれば一家を背負う責任から逃れたくてモラトリアムを過ごしている無責任な、ワガママな啄木のダメダメな日常の描写ではあるんだけれど、反面、お金がなくてキンダイチくんたちのように上の学校には(おそらく中学をまともに卒業していても)いけなかったであろう啄木が抱いていた、自身の才への自負、自分には何がしかの大きな仕事ができるはずだという強い思い、と、それがかなわない現実との間に起こる葛藤、というようなものが、なんとなく文面から読めるような気もします。

樋口一葉もそうだけれど、お金のない人が何とか文学によって生活を立てようとしても、それがかなり難しかったのですね。
あれほどの才をもってしても。
啄木は極貧の中で26歳で死去。

石川啄木 その1 [本]


石川くん (集英社文庫)

石川くん (集英社文庫)

  • 作者: 枡野 浩一
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2007/04/20
  • メディア: 文庫


石川啄木は、小さくて(身長が158cmくらい)おでこが大きくて色白でとってもかわいらしかったらしいのだけれど、一方で、けっこう生意気で天才気質でいたずら好きな性質でもあったようです。
で、枡野さんはこの愛すべき啄木に向けて、親しみを込めて「石川くん」と毎回呼びかけながら、その歌と生活についてコメントしている。
枡野さんによる啄木の歌の現代語訳つき。

例えば・・・
友がみな我よりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ(啄木)
→友達が俺よりえらく見える日は花を買ったり妻といちゃいちゃ(枡野さん)

では枡野さんの訳歌
目ざめてもふとんの中でぐずぐずとしちゃうダメさを責めないでママ
の元歌はなんでしょう?

絶妙なコメントも時に辛口で、時にやさしくて、ユーモアがあって笑えます。
軽く読み終えられるので入門書としてとてもよい本だ。


石川啄木 (新文芸読本)

石川啄木 (新文芸読本)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1991/01
  • メディア: ハードカバー


本の画像がないみたいなのですが、こちらは少し踏み込んで石川啄木と言う人を知るのによいです。
いろいろな人が多角的に啄木を読み解いている。
それこそ歌人から、文芸評論家から、小説家から。
資料も豊富で、それがまたとても興味深い。
明治41年、啄木から妹光子にあてた手紙。
「兄さんはあんまりえらい為に、金持ちにもなれぬし、親孝行も充分出来ない。死んだ姉さんはしかたがないし、岩見沢の姉は馬鹿者だ。お前だけでも専心親孝行してくれ。少しでもおっ母さんに心配さしたり口答へするなら死んで了(しま)へ。この兄が頼むから毎日毎日少しずつでも余計におっ母さんを慰めてくれ。そでなかつたら死ね。」
・・・・!!ひでえ!!
でも啄木という人の、なんかこう、ジャイアンみたいな一面(オレ様だけどやさしい)が垣間見られるようではないですか。
いろいろと面白かったのですが、啄木のお父さんも苦労をしたようで、はっきりとは分からないけれど、啄木の東京時代の経済を何とか支えるためにあれこれ手を尽くし、結果、寺を追われることになってしまったのでは・・・という水上勉さんの論は特に興味深かったです。
一般には「ダメな父親」のイメージが強いからこそ。

川端康成と三島由紀夫 伝統へ、世界へ [本]

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去年、鎌倉文学館で開催していた展覧会の図録。
ミュージアムショップで購入できる。

川端は三島より26歳年上で、川端が三島を見出し、作家として導いたと言っても過言ではないのだろうが、三島も川端も、意識の上では師弟という思いはなかったようだ。
三島は死ぬまで川端を「川端さん」と呼び、また一方の川端も三島については「師友」と言っていたという。

二人の出会いから三島の死までを主軸とした展覧会であったのだろうが、図録を読んでいて興味深かったのは、川端が三島にノーベル文学賞の推薦文を依頼しているところ、だろうか。つねづねお手をわずらはせて恐縮ですが・・・というような書き起こしで「のおべる賞」の推薦文をひとつお願いします・・・という手紙が図録に掲載されている。
川端は三島の批評の力をつねづね高く評価していたらしい。
私は苦手意識が先に立ってしまって、三島の文章にはあまりなじみがないのだが、図録に収録されているこの推薦文をはじめとして、彼の批評の文章の絢爛さには、圧倒されてしまいました。たしかに人をうっとりさせる、ことばの巧みさが三島には、ある。
その批評力の確かさを、絢爛な文章を、たのむところが川端にはあったのだろう。

一方の三島は同じ頃、自分もまたノーベル文学賞の候補者になっていると言う自覚があった。
で、川端の受賞の知らせを聞いて大変に喜び、すぐさまお祝いの文章を書いて、川端邸に向かうそのタクシーの中で、日本にノーベル賞が来るのは少なくとも10年は先だろうとつぶやいたらしい。
この国際的な賞を、二人は競っていたのだった・・・。

川端の国際ペンクラプ副会長就任とか、三島の「宴のあと」事件とか、ふたりがそのときそのときをどんな風に過ごしてきたか、それが彼らの後の人生をどんな風に決定していったのか。
丁寧に二人の奇跡を追った図録です。
展覧会も見たかったなあ。
後の祭りだけれど。

三島由紀夫の家 [本]

三島由紀夫の家 普及版

三島由紀夫の家 普及版

  • 作者: 篠山 紀信 篠田 達美
  • 出版社/メーカー: 美術出版社
  • 発売日: 2000/11/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


三島由紀夫という作家についての私のイメージは、饒舌な人、自己陶酔の人、自意識のあふれ出ている人、というような過剰さに集約され、それがいつも私を「お腹いっぱい」にしてしまう。だから『仮面の告白』も『金閣寺』も、今まで挑戦してきたほとんどの作品を、私は途中までしか読めなかった。好きな歌舞伎でも、三島脚本の『椿説弓張月』では、白縫姫の残酷シーン(お琴を弾くお姫様の前で裏切り者が折檻されるシーン、杭を肉体に打ち込み、血がだらだら流れる)が、これまた仰々しく、長々しく、かつまた生々しく、「三島はここを見せ場と考えていたんだろうなあ・・・」と思うともう、なんだかどっと疲れてしまう。
作家というのはある種の過剰さを持つひとなのであろうし、もっと言えば芸術家とは一般的に考えられる範疇には決して収まらない人々なのだろうから、誰もが同じような要素を持つはずなのに、やはり私は三島由紀夫が苦手なのである。

この写真集は、篠山紀信さんが撮った1000枚以上の三島邸の写真から編んだもので、今は普及版として小さなものが出回っている。
写真の美しさもさることながら、細部までこだわった三島の美意識が、家のいたるところに垣間見られ、つくづく感心してしまう。
例えば盛装した人々が庭でお茶を飲んでいる写真。
庭に面して連なるガラスの扉を背に三島はバルコニーに席を取り、庭でゆったりとくつろぐ来賓たちの中、あたかも王様のような雰囲気をかもし出している。
玄関、、応接室、居間、3階から見る景色。
どれをとっても大変ぜいたくで、ひとつひとつの家具・小物がこだわり抜かれて配置されている。玄関の照明器具は、そういえば庭園美術館の朝香宮邸でよく似たものを見たように思うし、自ら特注で作らせた応接室のテーブルなどは、(「Y・M」のイニシャルがなければ)洗練された上品な造詣である。
西洋風の趣味のよい古い調度。
贅沢な空間。
こんなところで営まれる「生活」が、ほんとうにあったのだ、と思うと、そら恐ろしくさえ感じる。

ただ、芸術的な家である一方で、それが三島という人の個性なのか、ところどころに「えっ!」とびっくりさせるそぐわなさとか、ぎょっとさせられるほどの家主の自信などが垣間見られるのも事実。それはなんとも言えないユーモラスさにも通じます。
例えば、庭のアポロン像。私はやや引きました。
大江の『性的人間』に出てくる海辺の家の庭に立つアポロン像を思い起こしたりして。三島自身がそのアポロン像の下に立つ写真を篠山さんは撮っていて、
「それって、自分はアポロンだぜっていうことなんだろうな・・・」
とやっぱり思ってしまいます。
そのアポロン像の足元に施されているきれいなモザイクタイルは長さ15cmの大理石だそうで、つまりは15cmの長さで地中に埋まっているというぜいたくさ。
こだわりがあるのだなあ。。。。

そしてまた、立派な書斎、自著の並ぶ書棚、重厚な雰囲気。
しかしその中に配置されているのは、当時の最新の家具であっただろう、スチール机。
今見ると本当になんというか「えっ!!ここでスチール!?」とびっくりしてしまいます。
(ちょっと前に見た『砂の器』で刑事さんたちが喧々諤々していたとき、その傍らにはべっていた、くたびれた机・・・あれと同じだよ…)
さらにその素敵な書斎はじつは全面鏡張りなのだとか。
あ、やっぱり…なるほど・・・
というような感じで、それはそれは美しい家を、家主の三島というその人の個性とともに、とても興味深く見ることのできた写真集でした。

私の中で、三島という作家に対する見方が、すこしだけ変わったようにも思います。

村田喜代子『八つの小鍋』 [本]

なんと、実に3ヶ月ぶりの更新である。・・・・・

村田喜代子の短編集『八つの小鍋』を読む。
この方は芥川賞をはじめとして、さまざまな文学賞受賞している。
その、受賞作品を多く収録した短編集。

八つの小鍋―村田喜代子傑作短篇集 (文春文庫)

八つの小鍋―村田喜代子傑作短篇集 (文春文庫)

  • 作者: 村田 喜代子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2007/12/06
  • メディア: 文庫


たとえば太宰治作品を読んでいると、語り手は一体誰に向かって何のために語っているのか、などと思ったりすることがあるのだが、この短編集所収の「鍋の中」も、私は、途中からおばあさんの語りについて、かなりの疑問がわいてしまった。
いわゆる「信用できない語り手」っぽい。
そして実際に、おばあさんの語りは信用できないものであった。

幻想的な描写もあるが、これについては中途半端な感じは否めず、皆川博子さんとか河野多恵子さんとかもっともっと幻想性の高い作家はいる。どちらかというと、村田さんの作品では、私は「白い山」の五番目の話に出てくる「谷のばあさん」のようなお話が好きだ。
深い深い谷の底にすんでいるおばあさんが、山の暮らしを淡々と生きて、山の食べ物を毎年きっちり加工して、お客が来ればさっとそれを料理して出す。老人だからあるとき転んで足の骨を折ってしまうのだけれど、そうして病院に長いこと入院するのだけれど、早く家に帰りたくて泣いて帰ってきてしまう。すると足の骨が変な形にくっついてしまい、もう普通に歩くことができない。それでも這って家の中を歩き回り、生活の用を足して、山の食べ物をちゃんと保存したりする。
そういう淡々とした日常を描くのがうまいなあ、いい話だなあと思って読んだ。

母は娘の人生を支配する・現代韓国と女性 [本]

『母は娘の人生を支配する』

母は娘の人生を支配する―なぜ「母殺し」は難しいのか (NHKブックス)

母は娘の人生を支配する―なぜ「母殺し」は難しいのか (NHKブックス)

  • 作者: 斎藤 環
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2008/05
  • メディア: 単行本



少し前に読み終わった本なので細部を忘れてしまっているのだが、とても興味深い内容だった。
特に面白かったのは第三章「女性ゆえの困難について」。
思春期の少年少女が不登校になったり、引きこもりになったりする現象について、筆者はこうしたことは男の子に多いと言う。少女が不登校になる場合もあるが、圧倒的に男の子の方が多いのだそうだ。
しかし、問題の根は、少女のほうが深いらしい。
その分析が面白い。
男性の場合は対人恐怖、女性の場合は摂食障害という形で、思春期の問題は起こるのだそうだ。そしてそれは少年・少女が外部からどのように見られているか、どのように評価されているか、ということに関係している。男性の場合、その人の評価軸というのは社会的有用性にある。つまり、学歴とか知的・身体的能力、といった、いわばその人の「能力」が問われるということになる。したがって、少年期の葛藤は「自分の能力が低く見積もられているのではないか」という点に起因するらしい。
一方少女の場合、その人の評価は学歴とか、知力、社会的地位などにはない。もっと身体的なものと直結している。女性に対するしつけが、しぐさや振舞い方に重点が置かれることなどもその現れであろうし、何より、女性は物心ついたときから、男性からのみならず、同姓である女性からも強くその身体を監視され、チェックされるという環境に置かれるのだそうだ。女性は、だから、自身の身体をコントロールすべく、ダイエットをするのだけれど、身体に対する支配が行き過ぎると拒食症とか、過食症とかになってしまう。
なるほど~~
これは分かりますね~。
自分の身体を支配できないもどかしさ、というのは、女性であれば誰もが感じることのある感覚だと思うのです。
男性は自分の生理的欲求を支配したいなんて思わないだろうけれど、女性はすくなくとも、生涯に一度や二度はそういうことを考えるはずだと、私も思うのですよね。
ちなみに私は一度もダイエットをしたことはないけれど、「自分の思い通りにならない身体」については考えたことはあるのです。自分に帰属しているはずの身体が、生理的欲求をはじめ、何もかも思い通りになんて行かない。それは特に(成長期である)思春期のころに顕著なわけだけれど、「なに、これは[むかっ(怒り)]」って、思うんだよね。
だから、少女たちがダイエットをしたり、過食症や拒食症になってしまうのは、「やせたい」ということだけではなくて、「やせていく自分」への強い執着があるということなのです。

斉藤氏はさまざまな方の文献をもとにご自分の論をすすめていくわけですが、このブログでもちょっとだけ取り上げた大塚英志『彼女たちの連合赤軍』にも触れています。
また、サブカルの文脈にも(やや偏ってはいるかな、とも思いますが)かなり言及されていて、少女マンガに描き出される少女たちの内面性についても書いておられます。この辺も大塚さんをベースにしているのでそれほど新しいわけではないんだけれども、面白いです。

『現代韓国と女性』

現代韓国と女性

現代韓国と女性

  • 作者: 春木 育美
  • 出版社/メーカー: 新幹社
  • 発売日: 2006/08
  • メディア: 単行本



韓国は日本を上回る少子化の国なのだ。
出生率も日本より低い。
晩婚化も深刻。
それはなぜでしょう?
という分析をかなり精緻に行っている、ありがたい本。
研究者の手によるものなので、データなどがしっかりとってあって分かりやすい。
本日は疲れたのでもうこれ以上は書きませんが、いずれ追記します。
今日は終わり。

下流社会・下流社会第2章 [本]


下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

  • 作者: 三浦 展
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2005/09/20
  • メディア: 新書


ようやく読み終えました。
ふう・・・。
やっぱりのろのろ読書。
一応他にも読んでいるものがあるからな・・・と言っておこう。

で、『下流社会』ですが、著者はマーケティングのプロでございます。
そのプロの分析がさえております。
面白いです。
国民総中流化の1955年体制から階層化の時代へ。
市場も中流層ではなく、階層社会を前提にビジネスモデルを構築しないといけなくなってきましたよ、という。
たとえばトヨタのレクサスは上流層向けに売り出して、見事に当たった商品。
日清も高価格帯と低価格帯の二極化を図ることで現在の状況になんとか対応していることとか。
一見経済の話のようでいて、人々の欲求や消費活動の分析というのは、その背景に膨大な文化的文脈を読み解かねばならないわけです。そんなわけで、社会学者がしている調査研究は、経済の分野(昨今は商学部系統になるのか)における市場調査(マーケティング)とけっこうかぶるんだなあ、と感じたりもしました。
本書で特に感心したのは、「自分らしさ」志向が強い若者ほど、下流化傾向が強い、という点の指摘。そして家庭の階層が現況のまま固定化されていく可能性の指摘(家庭の階層固定化)、でした。特に下流化傾向の強い家庭ほど、子どもに対して「自分らしく」生きて欲しいと願ったりする。こうなると子どもにしわよせが行くわけで、生まれた家庭の階層そのままに大人になっていくわけです。つまり簡単に言ってしまえば、下流化傾向の強い家庭で育つと、その子どもも同じ階層に居続ける可能性が非常に大きい。
教育の機会均等という観点から見ると、これはちょっとまずいわけで、では、完全に機会均等にすればいいかというと、またそれも違う。ここらへんが筆者の分析が冴えている部分です。

以下引用
こうした完全機会均等論は解決しがたい問題を内包している。
すなわち、もし完全なる機会均等社会が実現したら、結果の差はすべて純粋に個人的な能力に帰せられる。しかしそれはそれで非情に過酷な社会ではないかと思えるからだ。
おまえの成績が悪いのは、親が貧乏だからでも、低学歴だからでもなく、ひとえにおまえの頭が悪いからであり、勉強や仕事に意欲を持てない性格だからなんだということになってしまう。言い訳がまったくできないのだ。
そしてそれは究極的には、頭の悪さや無気力の原因を遺伝子に求めることになり、悪しき優生思想にたどりつく危険性がある。
引用終わり

といって、筆者が提案するのが機会悪平等。
ここらへん、なかなか面白い。

下流社会 第2章  なぜ男は女に“負けた

下流社会 第2章 なぜ男は女に“負けた

  • 作者: 三浦 展
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2007/09/14
  • メディア: 新書


『下流社会第二章』は、第一弾のサンプル数の少なさを、今回はきちんと膨大なサンプルを集めて改めて分析しなおしましたよ、という本だと受け取っていいかと思う。
この膨大なサンプルの中には突出してニートとフリーターの数が多いのだけれど、それもまた調査・分析をなかなか興味深いものにしている。
彼らは必ずしも将来正社員になりたいと思っているわけではないのである。

さて、『第二章』では男性・女性に分けてかなり詳しく下流化の現状を追っているが、それはそれ、ひとつ特筆すべきは女性の階層差の拡大である。
一昔前だったら多くの女性が一時は働いても、専業主婦になったものだが、現在はそのようにひとくくりには見ることができない。既婚正社員を上の層として、最も下流は未婚非正社員となるわけだが、なんだか不思議なことに、下流意識の強い彼女たちが、実は最も強い消費牽引者であり、また社会の将来に対してあまり期待を持っていないにもかかわらず、自身の将来には希望をもっているという。なんだかよくわからない。
けれども、筆者はこうしたあり方を「三重苦」ならぬ「三重楽」と表現して、「上司や会社の束縛からの自由」「夫からの自由」「親からの自由」を謳歌しているゆえではないかと予想している。
男性の意識と女性の意識がかみ合っていなくて、男性は女性に癒しを求める一方で、女性は男性にすがらせない、という指摘も。このあたり、『儒教と負け犬』とあわせて読むと本当に面白いので、興味のある方はぜひご一読を。

最終的には、多様化するライフスタイルに合わせた多様な働き方を許容する社会構築を、といって幕。
最近読んだ筒井淳也さんの福祉国家についての論考も合わせて紹介したいのだけれど、これはまた次の機会にしよう。

酒井順子『儒教と負け犬』・大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍』 [本]


儒教と負け犬

儒教と負け犬

  • 作者: 酒井 順子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/07/01
  • メディア: 単行本


ちょっと下のほうの日記で取り上げた『身もフタもない日本文学史』で、清水義典さんが「徒然草」とか「枕草子」の話をしつつ、現代のエッセイストに言及しているのだけれど、あきらかに『負け犬の遠吠え』を言っているよな、という部分があったので、図書館で借りてきて読んでみた。
私はあまりエッセイを読まないので、酒井さんの著書にもこれまで触れたことがない。あれだけ話題になったのに『負け犬の遠吠え』も読んでいない。
すみませんね。
で、かなり乱暴な読み方になるだろうが、第一弾は読まずにいきなりこの本を読む。
日本、中国(上海)、韓国(ソウル)の三都市の「負け犬」女性にまつわるいろいろを軽妙に綴っている。
「儒教」、っていう観点が面白いと思うのですね。
それだけではなくて、三都市の(あるいは三国の、か)比較文化本としてもなかなか面白かった。
新書のように学術的ではないので、そうした向きを求める人にはちょっと物足りない感もあるかもしれないけれど、それなりに文献にも当たっているし、何より読みやすい。

「彼女たち」の連合赤軍―サブカルチャーと戦後民主主義 (角川文庫)

「彼女たち」の連合赤軍―サブカルチャーと戦後民主主義 (角川文庫)

  • 作者: 大塚 英志
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2001/05
  • メディア: 文庫


で、なんとなく。
いまさら?という感じもあるが、『負け犬』と合わせて読むと面白いかな、と。
どちらかというと、これも大塚さんの守備領域で話が進められるのでサブカルの文脈が基調。
でもね。
ものすごく面白いですよ。
連合赤軍の、森さんをはじめとする男性たちが、「女性」という他者とどう向き合っていたか(というか、結局のところどう向き合えなかったのか、かな)、ということが、今にも十分通じる事例として分析されているわけです。



私ももうちょっと時間をかけてこうしたことについてまとめたいんだけど、いかんせんダメ人間なもので、とりあえず覚書程度に記しておきます。

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