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長谷川等伯展 [散 歩]

金曜にお休みを取って、美術展2つ行ってきました。
この週末でどちらも展覧会の会期が終わってしまうので、本当にギリギリの滑り込みセーフです。

京国立博物館で開催中の長谷川等伯展は、23日が最終日。この後、京都へ巡回します。
東京で見ないで京都へついて行ってもよかったかなあ・・・などと思ったりしましたが、さてこれ如何。
東博は9時30分開館ですが、私が到着したのは10時。
特に休日の朝ののろのろ度合いの高い私にしてみれば、かなり頑張ってこの時間についたのです。
が、これで頑張ったなんて甘かった。
すでに会場入り口は長蛇の列で、30分待ちの立て札が。
あまりに来場者が多すぎて入場制限をしていたのでした。
ディズニーランドも真っ青です。
10年以上前に、bunkamuraのミュージアムで後期印象派展だったかゴッホ展だったかをやったことがあります。
そのときもものすごい人、人、人で、私は心の中で「入場制限してよ~」と叫んだ記憶が。

余談ですが、日本の美術館・博物館は「企画展」を中心に入場者数を稼ぐ、企画型の運営形態が特徴です。
たとえば先ほどのbunkamuraミュージアムは自前のコレクションを一切持たない。
そして「企画力」で集客を図るわけです。
私はbunkamuraの企画力はずいぶん高いよなあ、と感心したりするのですが、それは一方でつらいことだったりするわけです。
特に、入場制限もなく人、人、人の波に飲まれてしまったりするとき…。
私もその人の波の一部になっているのにもかかわらず…
ま、そういうわけでございます。
国立西洋美術館などは、質の高いコレクションを持っているのですが、やはり企画展の方が前面に出ますね。
あまり常設展が激混み、というようなことにはならないですね。

閑話休題。長谷川等伯展。
30分待って、ようやく入場した後も、会場はまた人、人、人でした。
すごい人気。
等伯はすごいなあ。若冲のときもこれほどではなかったよ~・・・
というかメディアの力もあるのだろうけれど、これだけの人々が等伯の画業に興味を持っていて、「ぜひ見に行こう!」と思っているんだなあ、すごいなあ、と私は感動しました。
しかし展示は見づらかったです。
仕方がないので「見えない部分は想像でおぎなう」という得意の離れ業を駆使しました。(そんなんでいいのか・・・)
絵仏師から画業を始めた等伯の、初期の作品はほとんどが仏画。
穏やかないい絵があるのを初めて知りました。
たとえば「善女龍王像」、「恵比寿大黒」。
「恵比寿」のほうは、花鳥図と合わせて3幅で一対の、のどかな作品。

柳橋水車図屏風は、琳派の八橋とか杜若の屏風に通じる構成のように思われますが、もともとああいう構図というのは日本画の中にあったものなのでしょうか。
図録を読めばいいのですが、いまだ読んでいません。

重文、国宝を含め、かなりの出展数。大きなものはやはり圧倒されます。
ゴージャスな楓図壁貼付とか、秋の風情たっぷりの萩芒図屏風などもよかった。

根津美術館 陶磁器ふたつの愉楽 [散 歩]

根津美術館はずいぶん長いこと改装工事をしており、
あ、今日、ちょいと根津美術館へ行こうかな~
と思い立っても行けない期間があった。
その根津美術館が待ちに待ったリニューアルオープンをした、というので
絶対に通おう!
と私は思っていて、まずは第一弾を実現させてきました。
現在開催中のコレクション展は、早くも第2期です。

建築がお好きな方にはとてもうれしくて楽しいリニューアルなんだろうけれど、私はあまりそういうことはよくわからないので、贅沢に葺いてある屋根瓦の美しさとか、ずいぶんモダンなロッカーだとか、オシャレな建物のデザインだとか、感想もそんな感じで終わりです。
すみません。
以前のほうが空がひろびろと感じられたけれど、気のせいだろうか。
建物は全体にその色が基調になっているのか、外から見ると黒い。
2階からお庭が見えるわけではない。
展示室はコレクションのことがきちんと考えられていてすばらしかった。


立派なコレクションを集めた根津嘉一郎さんは「青山」という号をお持ちになって、自らもお茶をやったらしい。
それでこの美術館は茶道具もたくさん収蔵している。
いい器がたくさんある。
今回も単独館開催の美術展としては本当に驚くばかりの、充実した展示だった。
重文を含め、目を奪われてばかりである。

展示室は5室に分かれており、第1室で企画展をしていた。
2室では円山四条派の絵画、3室では仏教彫刻、4室で古代中国の青銅器、5室で茶道具および名物裂(めいぶつぎれ)・更紗の展示が見られる。
あとは…新年の特別展示で雪村周継の「竜虎図屏風」、朝鮮の青花松虎文壷が出ている。
「竜虎…」はとてもユーモラスな虎がかわいらしい。

企画展で出ていた井戸香炉、井戸茶碗、御本茶碗、搔落唐草文壷、志野や唐津の向付・小さな盃(ああ、これは粉引きも特筆すべきうつくしさ)、肥前の大皿、そして重文の青磁蓮唐草文の水瓶と、尾形乾山の五枚組みの錆絵染付のお皿。
なにもかも、色気がありうつくしい器だ。
うろうろと行ったり来たりして、いろいろな焼き物を眺める。
本当に、楽しい。

変な話をしてすみませんが、私、秋に水指(みずさし)をつくったのです。お茶もしてないくせに。とても小ぶりでかわいらしいのですが、なんと焼きのときに薪が当たってヒビが入ったらしい。ざんねん~
さらに何もしていないくせに、着物も好きで、無意味に買ったりするわけです。何年か前にインド更紗の帯を買い、それにあわせて数年後、深い紺の紬も買ったのだけれど、着ていくところがない~。アホ~
だからというわけではないが、更紗を見たりするのも好きだ。
あれは琳派と同じ、テキスタイルアート。
名物裂もどきどきしました。


えーと、書きつかれたので終了します。
そのうちまた時間を見つけてもう少し詳しく書こうと思います。

美しきアジアの玉手箱 [散 歩]

3.png

昨夏、サントリー美術館で開催していたので見に行こうと思っていた展覧会。
調べてみてこの展覧会が巡回展であることを知る。現在は山梨県立美術館で開催中。

シアトル美術館の東洋コレクション、約100点を展示。東洋のコレクションとは言っても、今回展示されているものの半分は日本美術である。

眼目は宗達と光悦による「鹿下絵図和歌巻」と、作者不詳の「鳥図」屏風。
特に後者はすごい。圧巻である。
普通、烏(カラス)の群れなんて描きたいとか、見たいとか思わないものだろう。それを金箔の背景と、真っ黒な烏の 一見無秩序な群れの姿とを、絢爛な色彩の対照で見せている。しかもよくよく見てみれば、烏の目にはきちんと目玉が描き入れられているのだ。
大胆にして細部をもらさず。あまりにうつくしい屏風である。
かつて巨匠たちの対決展(2008年8月)で宋達の「蔦の細道図」屏風を見たとき、そのあまりのモダンデザインな空間構成にうなってしまったことがあったけれど、今回の「烏図」もまた、モダンな空間遣いにうならされます。

「鹿下絵図和歌巻」は「鶴下絵和歌巻」などと同じ趣向。
私はこの一部を三井とか、どこかの美術館で見ているはずだが、今回は巻物全体のほぼ半分を見せる。シアトル美術館が持っているのだ。
その事実に驚く。
ちなみに図録を買うと、巻物全体のどの部分がどの美術館に所蔵されているかがわかるようになっています。なかなかよい図録です。
奔放に鹿の跳ねる様子や、鹿の群像が、宋達によってのびのびと描かれる。歌を添える光悦の筆の運びがうつくしい。
日本の仮名書道の流れるようなうつくしさ、というのには独特な優美さがあるようだ。
やはり「蔦の細道図」屏風で、濃淡のある文字の連なりが蔦の葉の喩として描かれていたのだけれど、ともすると仮名文字はなにか模様のようでもある。

ほかにもすばらしいがたくさん。
私が感動したのはやはり、焼き物。
すみませんね、焼き物が好物です。

志野の鉢と花入れ。
小ぶりだがやわらかな肌のきめ細かさが垂涎ものの鉢。すっと伸びやかに描かれた花の模様が景色になる。口辺が花びらのように削られており、そうした部分が、少し変わっている。
花いれはやや大きい。ずっしりとした重量感を備えながら、あたたかみのある乳白色の筒型。ため息が出る。
織部の四方鉢。とても変だった。絵が。笑える。これぞ織部。

中国、朝鮮の陶器も数点出ている。
天目茶碗(中国)が、本当にやばいくらい美しい。
切り紙で龍の文様を出しているのだが、ざああっと雨を散らしたような水滴(釉)の作り出す背景の色が、色の重なりからくる深みが、見るものの目を捉えてはなさない。
朝鮮のあっさりとシンプルで、しかし掻き落しの大胆な陶器にも心ひかれる。

他にも[石山切」とか、「駿牛図」とか、「蜻蛉・蝶図」とか、「山水図」とか、語るべきよい展示品がたくさんあります。

「美しきアジアの玉手箱」今後の巡回予定はこちら↓
2010年3月13日-5月9日 静岡・MOA美術館
2010年5月23日-7月19日福岡市美術館

冷泉家 王朝の和歌守展 東京文化会館「乞巧奠」 [散 歩]

上野の「冷泉家」の展覧会に行ったのと、東京文化会館で見た「乞巧奠」のことについて。
時間があるときにまた記録する。
特に「乞巧奠」の歌会で披露された歌と、冷泉布美子さんが解説で歌について話をされていたところが印象に残っている。

皇室の名宝展 第1期 [散 歩]

目玉である若冲の動植綵絵、空間恐怖症のように埋め尽くされる30幅。
感動のあまり思わず涙がこみあげるほど。
膨大な時間と手間。強い意思がそこにあるようだ。

抱一の12ヶ月。
余白の美。柿の一幅がよかった。
平日午前に訪れたため、あまり混んではいなかったが、やはり絵の前に人だかりはある。
あっちへふらふらこっちへふらふらしながら鑑賞。

江戸東京博物館 向島百花園 [散 歩]

江戸東京博物館で開催中のボストン美術館展を見た。浮世絵の大コレクションである。
国芳のパノラミックなわくわく絵とか、清長の細長い美人画とか、湖龍斎の遊女とか。
みんなみんな美しくて、特に色の発色が並々でなく美しいのに圧倒された。こんなに大事にコレクションを護ってくれたアメリカよ、ありがとう。


浅草へ出ておやつの時間帯にもんじゃとお好み焼きの昼食をとり、まだ少し食べられそうだったので、尾張屋さんで蕎麦を手繰る。さすがに食べ過ぎた気もするが、給仕のお姉さんがとっても気持ちのよい方で、ポケットティッシュをめぐってあれこれ談義していた我々に、どうぞ、と2つティッシュを下さったのが忘れられない。

その後、夕暮れせまる中、向島百花園へ行き、枯れ枯れた草木を寒々しく眺めて、満足して帰ってきた。
萩のトンネルなんて、萩がもうすっかり枯れて、すかすかだったけども、それがよかったのだった。

しかし、枯れ枯れた風景を見たからか、ずいぶん寂しい気持ちになってしまって、やはり秋はしみじみと切ながるのが似つかわしい。などとしんみりする。


おぼつかな秋はいかなるゆゑのあればすずろにもののかなしかるらむ
西行
(どうして秋はこんなにも心がぽっかりと切ないのかな)

河合玉堂美術館 [散 歩]

お休みの日に、以前より見に行きたいと思っていた玉堂美術館へ行く。
清清しいお天気で、多摩川はうつくしく川音が澄んで高く空までのぼってゆく。
まだ肌寒い。
川を描いた青い絵が、とても心に残る。
白い砂、青い川。何人かの人人が魚を釣っているようだ。
琳派の絵のように美しいコントラストと造形美、モダンデザインである。

御岳から沢井まで渓流沿いを歩いて、途中新蕎麦を食べる。
やはり肌寒い。
沢井から電車で西八王子まで。
座忘というお蕎麦屋さんではやい夕食。

実を言うと御岳でもう少しゆったりのんびりしたかった。
時間を気にせずとろとろすごすのが、私は好きだ。

三井記念美術館「茶人のまなざし 森川如春庵の世界」、東京国立博物館「琳派展」 [散 歩]

どうしても行こう、と思っていた展覧会が三井記念美術館であったので、東京国立博物館の琳派展とセットにして行ってきた。

三井の美術展は題して「茶人のまなざし 森川如春庵の世界」。
名古屋市博物館で春にやっていたものの巡回展として東京へきたものである。
森川如春といえば、十代のうちに光悦の茶碗「乙御前(おとごぜ)」と「時雨」を所有していたことで有名な茶人で、原三渓とか益田鈍翁らとの関わりでも知られる。
私は20歳の時に、京都旅行で出会った乙御前の写しに惚れていまい、購入もしたものの、以来、いつか本物を見たいなあと漠然と思ってきたのでありました。
今までにチャンスがなかったかと言われればそんなこともなかっただろうけれど、なぜか、今回の展覧会では「乙御前」が出る!と言うのに強い磁力を感じて行ってきたわけである。

で、乙御前見たさに展覧会に行ってきたのだったが、もうもう!!実によいものがたいへん出展されていて、大興奮の展覧会でありました。
お茶碗では念願かなって見た乙御前、琥珀や瑪瑙のような深みを持つ朱色で、つやつやと美しい。
所有している写しは、かなり大ぶりで厚みのある茶碗なのだが、本物は薄い。小ぶり。
きめの細かい赤肌のなんと色っぽいことか。
よく志野の肌を女性の肌に比することがあるが、赤楽のあの年月を経た美しさはまた全然ちがった色艶である。高台のつぶれているところから優雅に立ちのぼってくる線の、なんとも見事な女性的丸み。「時雨」の持つ男性的なシャープさとは対照的である。
のぞきこんだ茶碗のうちに、吸い込まれるような赤みの傾れがあって、どこまでも完璧にうつくしい茶碗であった。ウットリ。
時雨も相変わらず切りっぱなしのような口のあたり。潔い線。
あと、ととや茶碗「小倉山」というのが出ていて、これがまた、もう、涎が出るほどものすごくいいお茶碗であった。
白緑というのか、うす~い上品な色目にぽつぽつとまあるい斑のあるお茶碗で、そのぽつぽつとしたけしきを紅葉に見立てたらしかった。
あれと「乙御前」だけでも、もう一回見たいほどのいいお茶碗で、これは朝鮮のお茶碗。
志野もかなりの数が出ていた。
昔は志野のぽってりとした肌が好きで、ほっこりと赤みを持つ白い肌がなんとも色っぽいなぁなどと思っていた。今は少しつくりが大きいなあと感じる。あの肌合いを堪能できるのには、若干大きめの作でないとならないのかもしれない。
卯花垣(ちょっと字が違うけど)、亀のをの山、大海老。
あれは女性の肌というよりも、大地そのものだなあと感じる。
黄瀬戸もよかった。
青磁や白磁の冷たく完璧な美しさも好きだが、一方であたたかい土の匂いのする器にも心惹かれる。作り手の「手」が感じられるあたたかさがある。

お茶碗だけでなく、お軸などもものすごくて、やっぱり違うなあとうなってしまう。
集まるところに集まるのだな。
藤原佐里はあるわ、西行はあるわ、石山切はあるわ、ものすごい。

あと特筆すべきは伝羽田五郎の黒漆の小棗「五郎棗」で、これがやはり、もう心から本当に美しいのである。そもそもが漆って美しいんだけれど、この小棗はかたちもよいし、これももう一度見たいものの一つだ。

琳派展はやはり人がすごかった。

箱根美術館 強羅公園 [散 歩]

夏に箱根へ行こうと思いついたのは8月に入ってからのことである。
本当は東北文学めぐりの旅をしようかな、などと思っていたのだが、お盆しか休めない私はうじうじと二の足を踏んでいて結局決断できなかったのだった…

その代わりと言うのもなんだが、近場だし箱根へ行こう!と思い立って、宿を予約する。

ちょうどお盆の時期、しかも土日に箱根へ行こうという、なんとも無謀な計画である。
しかも今回は私が車を運転して行く計画にしたので、車の運転が苦手な私は、念には念を入れて、予習のために旅の下見までしてしまった。
これは日帰り。
結局都合3日間にわたって、箱根を巡ったことになる。
…あほである。


【下見編】
平日の朝、ゆっくり出発。
それほどの混雑もなく、御殿場方面から仙石原を経由して箱根へ。
とりあえずは自分の行きたいところを目指して車を走らせる。
箱根ロープウェイの桃源台駅→姥子温泉を経、お昼を食べる予定のお蕎麦屋さんへ。
こじゃれたアプローチを通り抜け、小川沿いに立つどっしりとした建物のお店である。
開放的なテラス風の席に案内され、木漏れ日の中で天ぷらと もり蕎麦をいただく。
周囲は森。
暑い日だったが、木々の間を伝う風が気持ちのよい、いい昼食だった。
しかし蕎麦の量は少なすぎるようにも思う。浅草の並木蕎麦だってあんなに少なくない。
妹と二人で、一人分のお蕎麦を追加注文してお腹を満たした。
てんぷらはえびのかき揚げ。
ふっくらとして、美味。

昼食後、車を早雲山駅の駐車スペースへ止め、箱根登山ケーブルカーに乗って箱根美術館へ。
ここは京都の苔寺に並び称されるほどの美しい苔庭を配している。
熱海のMOA美術館の分館であり、展示されているのは土器、陶磁器。
苔庭だけでも一見の価値のある美しい美術館で、その美しさに妹は興奮して写真をとりまくっていた。
庭の木々のけしきもすばらしく、たとえば萩の覆いかぶさっている小道なども、秋口にはずいぶん美しいのだろう。
あすなろのような植物を見ながら、またも妹は興奮して、葉の裏の模様がⅩとか、Yとか、とりとめのないことをつらつらと語る。
苔の上に落ちる夏の日差しがきらきらとしている。
大型の縄文土器、大型の信楽が見ごたえのある展示。
志野、黒楽もいくつか出ていた。
志野はずいぶんぼってりとしていて、畠山記念館だったか、三井記念美術館だったか、以前見たものとは量感が全然違う。
黒楽は六代目の作。
少し疲れていた私は展示を見るのもそこそこに、2階のソファに腰を下ろしつつ、大きな窓の外にゆれる竹群を見ていた。
すごくいい景色である。

続いてはお隣、強羅公園へ。
ここには白雲堂茶苑というのがあって、こちらも私が行きたいと思ってセレクトしたところ。
つい最近、「美の巨人たち」で原三渓の作った「三渓園」を取り上げていたが、その三渓も関わった茶室があるところである。
そもそもは三人の人物が関わった建物群を総称して「茶苑」としているのだが、主となるのはとても興味深い茶室「白雲堂」で、田舎家風のつくり。
益田孝の作った茶室。
ここで蚊に襲われながら、お抹茶をいただく。
周囲はやはり、深く木々に囲まれている。

三渓の作った茶室は居室も兼ねており、部屋からは緑の濃い山々が見渡せる。
冬は寒かろうが、四方はほぼ開放できるつくりで、夏の風がさわやかに吹き抜ける。
昼寝がしたくなるようなしばし、ゆったりと時の流れていくのを楽しんだ。
おもしろい。
とにかく、おもしろいのである。

ここまできて、大体15時ごろ。
またまたケーブルカーに乗って早雲寺駅へ戻り、駐車場整理をしていた方に、休日の混み具合などを聞いてみたりしつつ、箱根を後にする。

帰りはかなり混んだ。
前日は5時間ほどの睡眠だったろうか、かなりダレダレの運転で、カリカリ梅をむしゃむしゃ食べながら、眠気&だるさと戦いながらの帰路。

対決!巨匠たちの日本美術 [散 歩]

昨日、お休みを取って行ってきました。
おかげさまで10万人突破、らしいですね、この展覧会。

ところでこの展覧会は企画がまず面白いです。
「対決!」って、従来は私たちが勝手にそれぞれの頭の中で思い描くことはあっても
展覧会としてはありそうでなかった。
それを実際にやってみた、というのが面白い。
で、当然のことながらずいぶん「浅く、広く」の展覧会になったけれども、
そのことがかえって、個人の鑑賞の域を趣味・嗜好の分野のみに限定せず、
それをむしろ広げさせたとも思えるから、とてもよい展覧会だったのではないだろうか。

私は今まで円空仏を「見てみたい、見てみたい」と思いながら、見たことがなかったもの。

で。
何が一番印象的だったかというと、若冲でも、芦雪でもなく、笑
長次郎と光悦の茶碗なのであった。

とはいえ、芦雪の大虎には本当に圧倒されるし、ものすごく惹かれる。
すごいなぁと思う。
師を凌ぐほどのスケールだとも思う。
近くで見ていると何がなんだかわからないのに、
遠くから見るとしっかりと虎の斑の模様になっている線。
ひげの硬質な質感。

鉄斎の富士にも、とても言葉にできない力強さを感じる。
それが画面からだけでなく、描いた人の内面からほとばしるもののように感じられて
心をわしづかみにされるような感覚を持った。

雪舟の「慧可断臂図」は線の妙だ。
幾種もの線をたくみに描き分けて、絵の奥行きと人物の存在感を出す。
その画力にやはり、引き込まれてしまう。

で。
長次郎の赤楽。
「無一物」もいいけれど、「道成寺」の端正なフォルムの美しさ。
手におさめたときの、ほっこりとした感覚が伝わるようでため息すらでるほどである。
最初、私は「チューリップのようなふくらみだ」と、その茶碗を見て思ったのだけど
「道成寺」という名がまた、いいではないか。
あの赤楽に抹茶の深い緑が泡立ったとき、道成寺の物語を思う。
ひぇぇぇぇぇ~!!
想像しただけでおもしろすぎる!

それから光悦の「時雨」、「七里」。
「時雨」のざっくりとした、切りっぱなしのような口あたり。
長次郎に比べると全然整ってはいないように見えて、しかしやたら芸術的で美しくて、
目で見てうっとりとさせるお茶碗だ。
「七里」の夢のような白い斑が、まるで天の川のようでございます。
う、うつくしい…!!
ほしいなぁ。
いいなぁ。。。。

琳派のものはいろいろと楽しく見た。
また秋に琳派展をするようですね。


夏休みの期間だからか、けっこう込んでいた。
人ごみを歩くと疲れます。
かなり疲れました。
この日、三井記念美術館にも行こうかな、なんて思っていたけれど
(金曜は8時までやっているのだ。ブラボー週末)
疲れたのでやめた。


でも、美術館は楽しい。
具合が悪くなっても楽しい。
またどこかへ行きたいな~。

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