So-net無料ブログ作成
つれづれ ブログトップ

ピグライフ [つれづれ]

o0320024011599394599.jpg
今年アメピグを始めて、かなりはまってしまいました。
一時期やたらと釣りばかりしていたものですが、最近の私はもっぱら庭であたふたしています。
アメピグはちょっと前からお庭バージョンでも遊べるようになっていて、
お庭バージョンをピグライフという。
庭に木を植え、作物を育て、その収穫物で料理を作ったり洋服を作ったりします。
例えば洋服を作る場合には、
庭にコットンを植え→収穫し→糸を紡ぎ→染め→裁縫して→ようやく新たな服が着られる
という風になっている。

いろいろと機能がある分、サーバーにかかる負荷も大変なものらしく
最近のピグライフはメンテナンスばかりしている。
そしてそのメンテナンスばかりしている間に、
ピグライフではなんと家畜が飼えるようになったのでした。

私は直感した。
これは・・・!!!
牛を飼う→収穫する→肉料理を作る→みんなに食べさせる
ニワトリを飼う→収穫する→肉料理を作る→みんなに食べさせる
ということか・・・!!!
今までほのぼのと庭仕事をしてきたけれど、とうとうここまで来てしまったのだな・・・

生きると言うことは食らうことである。
食らうと言うことは殺すことである。

ピグライフ・・・
なんと真実に迫ったゲーム…!!!
たかがゲームと侮ってはいけないのである。

それで家畜に名前がつけられるのですが、
私はいずれその家畜たちは食べられるものと思い込んで名前をつけたのです。
どちらかというと悲劇的な名前がいいかと思って
「葉造」(ウシ)
「島村」(ウシ)
「大助」(ニワトリ)・・・以下略
というような感じで名づけた。
いつか食べてしまうかもしれないけど、ごめんね。
とかなんとか思いながら。
そして庭に遊びに来てくれた人たちが彼らに水やら飼料やらを与えてくれたりして時が経ち、とうとう収穫のときを迎えたわけです。
私は収穫した。

す、すると!!

ウシからは牛乳が、トリからはタマゴが収穫できるではないですか・・・・
今までそれらの食材はお店で買っていたのですが。。。。。
なんということだ・・・・!
私は彼らに男性名をガツガツつけてしまったというのに・・・
牛乳をくれる葉造。
タマゴをくれる大助・・・・。

なんだよー。
これでは悲劇ではなく喜劇ではないか。

ピグライフに翻弄されまくっている最近のなまぬるい生活でした。

断片 1 [つれづれ]

雨が降っているのでコーヒーを淹れてのんびりしている。
仕事はいくつかあるし、今後2年くらいは+αの仕事からも逃れられないけれど、それはそれ。
今は休息しよう。
(そうして後で地獄を見るのだ…)




今朝の朝日新聞の土曜版 be フロントランナー。
DAYS JAPAN 広河隆一さんの記事。

cover_photo.jpg

写真クリックで広河さんのサイトへ飛びます。



以下抜粋引用
*******************************************
「人々の意志が戦争を止める日が必ず来る」「一枚の写真が国家を動かすこともある」
この二つをキャッチフレーズに写真月刊誌「DAYS JAPAN」が発刊したのは、米国がイラク戦争を開始して1年後の2004年3月だった。それから6年半。この9月には、定期購読者が1万人の大台に乗った。総販売部数は2万に迫る。
出版不況で硬派の雑誌が次々に休刊する中、骨太なジャーナリズムを堅持して部数を伸ばす稀有な存在だ。
・・・・
発刊当時、成功するる自信はまったくなかった。自己資本はゼロ。「出版社の友人はみんな大反対で、2ヵ月後に首をくくるぞと忠告された」それでも出したのは「自分たちのメディアが必要だ」という強い意志だ。
9・11のテロの後、アフガニスタンから送られる写真は爆撃する側からのものばかりだった。
「世界は『正義』という名の暴力にさらされている。戦争を起こした側に都合のいい写真でなく、爆撃の下で何が起きているのか、被害者の側に立つ写真を出したい」と思った。
・・・・
76年のパレスチナ取材で息子をイスラエル軍に殺された男に会った。彼は「なぜあのとき来てくれなかった」と泣きながら私にくってかかった。海外のジャーナリストが現場にいれば、軍は蛮行を控える。それを聞いて、ジャーナリストには抑止の役割もあることを悟った。ジャーナリストは不正に対する監視役だと思った。後に難民キャンプで無残に殺された子どもの遺体を見て、悔しくて泣いた。監視の兵はパラソルの下で読書していた。「おれを生かしてしまったことを後で悔やむようにしてやる」と心に誓いました。
*******************************************
引用終わり

紹介したことがあったかどうかわからないけれど、社会学者の芹沢一也さんがジャーナリズムとは少し異なる世界から、しかし同じような活動を展開しています。
少し長くなりますが、芹沢さんの文章も引用しておきます。

以下引用
*******************************************
ぼくがシノドス(*2007年4月~)をはじめた理由はいくつもあるのですが、そのなかに
「正しい言論」の無力さを痛感したということがあります(「正しい」という言葉は、素朴に受け取ってください)。

ぼくはもともと、狂気や犯罪、貧困といった現象をめぐって、明治や大正期を対象に思想史的な研究をしていました。それが2000年代に入って、関心のウェイトを現代にシフトさせ、現代日本社会をめぐって、時事的な文章を書くようになりました。発表媒体も新書や総合雑誌、あるいは新聞といった、より影響力をもちうるものとなりました。

20年くらいのスパンで日本社会について調べ、また自身が時事的な仕事をするなかで痛感したのが、先の「正しい言論」の無力さです。2000年くらいからとくに顕著ですが、国家や社会の根幹をなすような法や制度が、かなりいい加減な「床屋談義」に左右されてきています。

簡単な例が、たとえば2000年の少年法改正です。たしかに、少年法には数多の問題がありました。しかしながら、少年法改正を後押ししたのは、統計的にはまったく無根拠な少年犯罪凶悪化言説でしたし、さらには具体的な法改正や制度設計にあたって、犯罪学などによって蓄積されてきた知見はまったく参照されませんでした。

あるいは、2000年代後半になって、これもまたまったく根拠のない治安悪化言説を背景に、根拠のない防犯対策が推し進められたりもしました。これに対して、浜井浩一先生と『犯罪不安社会』(光文社新書)を出したりしたのですが、また昨今の報道のあり方をみていると、かつてのような治安悪化言説は影を潜めたようなので、一定の役割は果たせたような気もするのですが、しかしながら、「正しい言論」による啓蒙の無力さを感じざるを得なかった、というのがひとりの当事者として正直なところです。

そもそも、新書を出してみても、洪水のように出版される書籍のきわめて小さな一部にすぎませんし、新聞に論説を書いてみても、となりの方の論説によって相対化されてしまったりします。それに日本社会には、アカデミックな知に代表されるような「正しさ」を尊重しようという風潮などありません。

とはいえ、自らの無力さを正しさによって慰撫する、というのはぼくの趣味ではありません(勝負は勝つためにやるものです)。あるいは、愚民観をもって大衆なるものを軽蔑してみても何もはじまりません。社会に働きかけようとしている言論が、それに失敗しているのであれば、単純に方法がまずいはずなのです。

そこで考えたのがシノドスです。立ち上げ当初、「〈知〉の交流スペース」という看板を掲げましたが、ぼくが目指したのは、アカデミックな知が集結するような場をつくり、その場自体をひとつのメディアとしてブランド化することでした。

シノドスの構想を以前、政治学者の吉田徹さんにお話ししたとき、「それはマグナムのようなものだね」と指摘されたことがあります。マグナムのようには固有名を消去できないまでも、シノドスというブランドが言論の品質保証となって、シノドス発の言論が広く社会に流通するような、そうしたメディアを夢見ていたのは確かです。

幸せなことに、多くの第一線の研究者たちに共感いただき、さまざまにシノドスにご協力いただけることとなりました。
・・・・・
現在のところシノドスは、2万人ほどの読者に支えられたメディアでしかありません。しかしながら、アカデミックな知を社会に発信している、信頼に足るメディアとして、一定の存在感をもつにいたりましたし、今後はさらなる発展が見込まれています。そして、強調したいのは、こうした活動は、現在であれば、ほんの数人で展開できるという事実です。

たとえ数千から数万人規模の読者(あるいは、何であれコミュニティ)であっても、確固としたコア・コンピタンスをもったメディアが数多く現われたとき、そのときこそ、言論と社会との関係に何がしかの望ましい変化が訪れると確信しています。
*******************************************
引用終わり、注*は烏合による。

私たち個人の力(言論の力)には限界があるし、そもそもこういう試みは著名な人でなければ成功しないとか、してもどれほどのものか、とか思われがちだけれど、ネットという媒体は社会へ向けてそれこそ叫び続けることができるし、さらに多くの仲間を集めることもできる。
悲観論者が2人ばかりいる私の家族は、今の世の中に対してけっこう諦めモードな感じを漂わせているのですが、忍耐強く自分の思う「正しさ」を貫いてくれればいいのに、と私は思うのです。
世の中を変えるようなそんな大変革は望まずとも、少なくとも、今を生きているわたしたちが諦めてはいけないと思うのですね。
諦めないでコツコツやってる人たちも、それを支える人たちも、世の中にはいるのだから。


わけあって、今回の記事は限定公開設定ですが、いずれオープンにします。
あ~~コーヒーがすっかりなくなってしまった~
私にとっての優雅な休日とは、パソコンとたわむれることだったのか~

『どうして書くの?』 Vol.2 [つれづれ]

『どうして書くの?』の対談話の続き。

私は彼らの感じている歯がゆさやことばの軽量化現象、世界との隔絶感覚について、ひとつには、読み手の質の(低下の)問題があるんじゃないかと見ている。

黒崎政男さんの言説の引用になるのだけど、彼はニーチェの言葉を引いている。

一切の書かれたるもののうち、われはただ血をもつて書かれたもののみを愛する。血をもつて書け。しかるとき、なんじは悟るであろう。
――血、すなわち精神であることを。
他人の血を了解するは、容易なことではない。われは読むにあたつてライ(りっしんべんに頼)惰なる読者をば憎悪する。
読者とはいかなるものなるか、を知る人は、もはや読者のためには何事も為さぬであろう。読者をしてなお一世紀あらしむれば――精神自体までも悪臭を放つにいたるであろう。
万人が読みうるということは長年月の間には、書くことのみならず考えることをも腐敗せしむるのである。
かつて、精神は神であつた。やがて、そは人間となつた。がいまは、まことに愚衆にまで堕した。
(略)
語りかけらるる者は、高く大きく成長せる者であらねばならぬ。
(『ツァラトストラかく語りき』新潮文庫)

ニーチェは19世紀の人なので時代を感じさせる部分も多分にあるのだが、ここではルネサンス以降大衆のものと堕した精神の営みを痛烈に批判している。書かれていることをただ字面だけで理解し、わかったような気になることをしりぞけ、全力を傾けて何度も繰り返しくりかえし書かれたことを誦す。そうすることによって言葉を、思考を、自らの血肉とする、その試みや姿勢をしか認めていない。
黒崎は「万人が読みうるということは」のくだりを引いて、啓蒙主義思想と活版印刷の技術が大量の読者を生み出したことで、文筆家の文章の質が低下したと解説している。

今は活版印刷どころかインターネット(ブログ)の時代であるから、書くことも考えることも、時間をかけて吟味したり熟成させたりすることがほとんどなくなっている。文化はどうなっていくのか。

と、ここまでが黒崎さんの言説。(出典は今、探し中。)

人がものを深く考えたり、全力で何かを理解しようとしなければ、ことばは崩壊していく。社会にダイレクトにつながることばを使って小説を書いたり、歌を作ったりできないのは、もはや受け手が自分のこととしてそうしたものに関われなくなっている、ということなんだろう。書き手としての感性が非常に繊細だからこそ、表現の最先端にいる人々は、今の状況に敏感に反応しているのかもしれません。


穂村 弘『どうして書くの』(筑摩書房) [つれづれ]


どうして書くの?―穂村弘対談集

どうして書くの?―穂村弘対談集

  • 作者: 穂村 弘
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2009/09
  • メディア: 単行本



歌人・穂村弘が文学関係者と対談。
対談相手は高橋源一郎、長嶋有、中島たい子、一青窈、竹西寛子、山崎ナオコーラ、川上弘美の七人。穂村弘という歌人の持つ独特な雰囲気と、私の波長とが合わないせいもあって、なかなか読み進まない。
一番最初の高橋源一郎との対談で印象に残った部分。

穂村
短歌だと、形が全く同じなんで、斎藤茂吉とか、北原白秋とか、与謝野晶子と自分を比較できちゃうわけです。そうすると、負けているという感じが、どうしても小説よりももっとはっきりしてしまって、じゃ、その負けていると思う理由は何かというと、感情の濃度が全然違うんです。
 今我々が、お母さんが死ぬときに「死にたまふ母」とか、狂ったようにバーッと連作になるとか、白い鳥を見て「白鳥は哀しからずや」って、心の叫びとして言語化できるかというと……

高橋
絶対言えないですね。

穂村
もうずっとその手前でそういう叫びが成立しなくなっている。それは叫んだ者が強いわけですが、それができない。何か濃度見たいなものが違ってしまっている。
(中略)

高橋
確かに表現の様式は変わってきた。(中略)吉本隆明さんの『悪人正機』を読んでたら、吉本さんは人間はローマ時代から全然変わっていない、とおっしゃっていました。もちろん細部は変わるんだろうけれども、本質的な部分、心のなかの秘密とか、恋愛したいとか、死におびえたりとかいう基本的な感情とその表現形式においては全然変わっていないんじゃないでしょうか。逆に、内部とか、モチベーションとか、あるいはルーツの部分で全然変わっていないのに、ツールの方がどんどん変わってしまうので、ついていけなくなってるとかね。
(中略)
さっきの話につなげると、僕たちが明治の作家をうらやましいと思うのは、そういう個々の内発的な感情をすごい強度で出せることです。
 今僕たちが同じようには出せないのは、内発的な感情はあっても、僕らが今使っているツールでは、こちらが何か面映ゆかったり、恥ずかしかったり、いや、こんなのは使えないとおもってしまうからです。と同時に中身のほうは全然変わっていなくて結局僕たち自身が自分たちのツールによって自縄自縛されているという気がするんです。世界の方が勝手に初期化されて、もっと生々しいことをいっているわけでしょう。ものを書く人間だけが、自分の周りでは既に耐用期限が切れたといって捨てているツールを使って書いている。このずれみたいなものも怖い気がするんですね。

高橋はさらに明治期の作家が持っていた言葉は「直接的に事物と切り結ぶことができるツールだった」一方で、現代は「ツールである言葉とある事物を取り結ぶ関係がだんだん間接的になっていく」のだと指摘している。


続く

加藤周一さん ことばについて [つれづれ]

NHK教育で追悼特集をしていた。
非常に興味深くて、しかも、秋葉原の事件についてああいう風に発言してらっしゃったことに励まされた。

ことばを使えること。
その重要性。

その番組内での氏の発言の要旨は、著作『言葉と戦争』に即してのものだった。
1968年、いわゆる「プラハの春」を発端とする大衆の政治的な発動が、全世界へ浸潤する。
社会主義国家において、発言の自由が与えられたことへの熱狂は圧倒的で、これを「祝祭」と氏は表現していたように記憶している。(どうも私は記憶力が悪くて、いろいろなものごとをあいまいにしか覚えていないので、もしかしたら間違ったことを言っている部分もあるかもしれない)言論統制の一切ない世の中。社会主義であるにもかかわらず、自由に社会主義についても資本主義についても語ることのできる世の中。そしてそのことが持つ未来への可能性。「自由」そして「ことば」は我を忘れるほどの興奮を、チェコスロバキアの人々にもたらした。けれど、まもなくその熱狂はソ連の武力によって押さえつけられようとする。戦争を引き起こすことのできる大きな「力」が、「ことば」に相対した瞬間でもあった。
世界に広がっていった「社会」(旧制度、といえばいいのか。生活か。)への若者の怒りは、例えばアメリカにおいては反戦運動やヒッピーという形をとって顕在化した。日本でも体制への抵抗としてこれに準じる運動はおきたのだ。彼らは声をあげ、「ことば」を武器にして現実を乗り超えようとした。
新しい世界への祈り、希求が「ことば」として表れ、旧制度を守るものとして「武力」が在った。

加藤周一氏は、そうした1968年の状況と、現在2008年の日本(および世界)の状況とは、その閉塞感において非常に似通っていると指摘する。
けれど、現代社会において人々は、「ことば」を持って世界に立ち向かうことが難しい。世界がかなりの速度で非人格化、非人間化をおし進めているから、と氏は指摘する。
わたしたちはそうした世界の流れに対し、それに対抗しうるだけの「ことば」を持てなくなってきているのだろう。


私は長いことずっと、「ことば」を自分の問題、課題として持ち続けている。
わたしたちの発する「ことば」がどれだけ社会に対してコミットできるか、またどれだけの現実的な力を持ちえるのか。
ことばを持ち、それを駆使することの可能性を、私は半ば祈りとともに信じてきたのだと思う。
だから、この加藤周一さんの言説はとても心に沁みたし、そうした言説を持つ方を亡くしてしまった辛さ、この世界の損失を思うのである。
若い世代から、こうした力あることばをつむいでくれる人の現出することを願っている。


で、いまさら読もうとぱらぱらしていた、中沢新一さんと太田光さんの『憲法九条を世界遺産に』の、こんな一説に目がとまってしまった。

「ことばの戦場」をたたかいぬくのはほんとうにむずかしい。でも僕はいま多くの仲間たちに呼びかけたい。ことばは世界を表現するためにあるのではなく、世界を変えるためにあるのだから、僕たちが使っているこのことばに、世界を変えるための力を取り戻してやろうではないか」

加藤周一さんの文章にも、似たようなものがあったと記憶している。(やはりこれはあいまいな記憶。)
中沢氏のこの序説には全面的に賛成できない部分もあるのだけれど、やはり現代という時代は、「ことばの力」は衰退気味であるらしい。
世界不況。ことばも不況。
ことばよつよくあれ。

「図書」より 高橋睦朗さん [つれづれ]

2007年1月号の「図書」より。
高橋睦朗さん。


 やまとことばではほんらい、「よむ」は「よぶ」と共通して声に出すこと、他人の作を声に出すことも「よむ」、声に出して自分の作を読むことも「よむ」だった。
 もちろん、海彼から渡ってきた漢語を音声にすることも「よむ」で、そこから音よみ・訓よみも生まれた。当然、書物を音読することも「よむ」だが、これを転じてゲーテの「世界は大きな書物」というテーゼに応用するなら、世界の秘密を読解することも「よむ」。五七五七七の短歌も、五七五の俳句も、いかに短くとも、それを詠む行為は、世界読解の試みには違いなかろう。
つれづれ ブログトップ
メッセージを送る

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。